2014年5月6日火曜日

Mel Powell

1923年2月12日生。1998年4月24日没。生名Melvin Epstein。

ロシア系ユダヤ人移民を両親にニューヨークに生まれる。本名はメルヴィン・エプステイン(Melvin Epstein)。十代でニューヨークでプロのジャズ演奏家として活動に入る。1941年から1942年にかけて、ベニー・グッドマンのために演奏や作曲編曲を手懸けた。1943年から1945年までグレン・ミラーの空軍バンドの一員となり、終戦期にはジャンゴ・ラインハルトパリで共演した。短期間グッドマン楽団に復帰するも、やがて戦後ハリウッドで活動し、女優のマーサ・スコットと結婚した。パウエル自身は1948年にジャズ映画『ヒット・パレード(原題は“A Song Is Born”)』に出演して、ピアニスト役でグッドマンやルイ・アームストロングらの有名ジャズ・ミュージシャンと共演を果たした。
1948年から1952年までイェール大学パウル・ヒンデミットに作曲法を師事してからは、完全にジャズの経歴をなげうって、クラシック現代音楽の作曲家に転身した。1958年から1969年までイェール大学作曲科の教員を務め、この間、「イェール大学電子音楽研究所(the Yale Electronic Music Studio)」を創設し、また機関誌『新音楽の展望(Perspectives of New Music)』を創刊して初代編集長となった。1969年カリフォルニア州に転居し、同州ヴァレンシアのカリフォルニア芸術大学の学部長を務めた。学長に昇進した後に“Roy O. Disney Professorship of music”を授与される。歿年まで同大学にて教鞭を取り、作曲を続けた。1990年には、2台ピアノと管弦楽のための協奏曲相似Duplicates)》に対してピュリッツァー賞音楽部門を受賞。著名な門人にジャスティン・コノリーウォルター・ヘクスターアルトゥーロ・マルケスルイス・スプラトランロイス・V・ヴィアークジョン・フェリットーらがいる。
1987年にジャズ界に復帰し、巡航船SSノーウェイ号で開かれたジャズ・フェスティバルにおいて、ベニー・カーターハワード・オールデンミルト・ヒントンルイ・ベルソンと共演した。その演奏会の模様は、アルバム『リターン・オブ・メル・パウエル』(キアロスクーロ・レコード)として発売されており、このCDではパウエルが、約20分を費やして、半生やジャズ界を去った理由を振り返っている。


from Wikipedia: 2014/5/6

2014年5月5日月曜日

Carmen Mastren

1913年10月6日生。1981年3月31日没。ニューヨーク州コホーズ出身。生名Carmen Mastandrea。

1934年、Wingy ManoneJoe Marsalaのバンドに参加し、プロとしてのキャリアをスタートさせる。キャリアを通じて、Raymond ScottRay McKinleyMel Powellら多くのミュージシャンと共演した。
40年代にはとりわけSidney BechetMuggsy SpanierのBig Fourに参加し、大戦時にはGlenn MillerのAir Force Bandにも参加した。

Morton Downeyのディレクター、コンダクターとしても活動した彼は50年代から70年代にかけてはNBC制作のThe Today ShowThe Tonight ShowSay When!!などに出演した。

今日では36年から41年の間に務めた、Tommy Dorsey楽団のギタリストとしての活動が広く知られている。


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2014年5月4日日曜日

Teddy Bunn

1909年生。1978年7月20日没。ニューヨーク州フリーポート出身。生名Theodore Bunn。

1929年にDuke Ellingtonの録音に賛助として参加するようになる。29年から31年にかけてはThe Washboard Serenadersと、32年から37年、39年から41年にかけてはSpirits of Rhythmと共演する。


Sidney BechetHadda BrooksJohnny DoddsJ.C. HigginbothamLionel HamptonJimmie Nooneら著名なミュージシャンらとも多く共演したが、ブルーノートにソロの録音を残して以降、徐々に露出は少なくなっていった。



Sylvester Weaver

1897年7月25日生。1960年4月4日没。ケンタッキー州ルイズヴィル出身。

1923年10月23日に歌手のSara Martinと共に"Longing for Daddy Blues" / "I've Got to Go and Leave My Daddy Behind"をニューヨークで録音し、その二週間後にはソロで"Guitar Blues" / "Guitar Rag"を録音する。レコードはどちらもOkeh Recordsから発売された。
これらの録音は現在最初期の、またスライドスタイルのギターブルースの録音として知られている。"Guitar Rag"はブルースクラシックとして30年代にはBob Wills and the Texas Playboysにもカバーされ、カントリー音楽においてもスタンダード楽曲として広く知られるようになった。

1927年までにおよそ50曲を録音し、Sara Martin、Walter Beasley、Helen Humesらと共演した。発売されたレコードは順調な売り上げを見せたが、27年彼は音楽活動を退き、ルイズヴィルへと帰郷し、他界するまで彼はそこで過ごした。50年代に多くのブルースマンが再評価される中、大きく顧みられることもなく、60年に死去した。